(湖巖100周年サムスン③)[湖巖経営学2]情報が力だ
「57戦44勝2敗11分け」
プロ野球チームの記録の様に見える戦績は、湖巖(ホアム)が26歳にして、初めて事業を始め、1986年にサムスン経済研究所の創立に至るまでの半世紀に渡る事業の戦績だ。
土地事業を始めた当時、過度の銀行利子と時にして日中戦争の勃発で、それまで築き上げた精米業と運送業の全てを売却しなければならなかった青年時代の失敗と「サッカリン密輸」事件として、知られている韓国肥料の原材料流出事件は、ホアムの人生の中で、手痛い2度の挫折だった。
しかし、この2度を除いたホアムの事業は全て成功を収めたと言えるだろう。11番目の事業の霧散は、敗北と言うよりも、韓国政治の情勢などによっていたしかなく諦めたものだ。1963年設立した東洋放送(TBC)は軍事政権の言論統廃合によるものだった。銀行業も朴正熙(パク・ジョンヒ)前大統領(当時の陸軍少将)による、軍事革命によって政府に献納するしかなかった。
◆毎年、一つ以上の事業への試み…勝率96%
この様な特殊な状況を踏まえた場合、ホアムは自身が繰り広げた事業で勝率96%に達する成績を収めている。特に57つに渡る事業が1936年から1986年までの51年間に試み実行された。毎年、一つ以上の事業を拡張を実行に移したことになる。
短時間に数多くの事業を試み実行し、ほとんどの事業で成功を引き出せた秘訣は「人材」を大切にし、
彼らが、自身の力量を発揮できる環境を整えたからだ。(本誌1月26日参考)そして、次に情報の力をいち早く、見抜いたホアムの先見の明が挙げられる。
世界的な未来学者のアルビン・トフラーは1980年に著書「第3の波」で2000年代を情報革命の時代がくると予言している。第1の波は「農業革命」と第2の波「産業革命」を通じ、情報が新しい時代のパラダイムを提示すると説明している。
ホアムはアルビン・トフラーの予言が出る以前から情報の重要性を見抜いていた。また、氾濫する情報の中で、正確な情報と自身の役立つ情報を見分ける能力も兼ね備えていた。
◆情報こそが、企業の競争力
彼には、普通の人が見逃してしまう情報も自分自身のものしてしまう卓越した消化能力をもっていた。サムスンの新事業進出以前に必ず、通過する「東京構想」はホアムのこの様な能力を良く表している。
1959年、ホアム豪雪で日本の東京でソウル行きの飛行機に乗れずにいた。ホテルで飛行機の運航を待つ間、彼は世界の政治・経済・社会・文化にスポットを当てた日本テレビ番組を視聴するようになる。
一般人には単純なテレビ視聴に過ぎないが、ホアムはこれを通し、国内で接する事が難しかった世界の情報に触れ、サムスンの新しい事業の挑戦の機会として受け取っていたのだ。
これを契機にホアムは毎年、正月に東京行きの飛行機に乗ることになる。そして、日本で数多くの情報に接し、これを事業に反映することになる。電子・半導体・造船など、現在サムスンの主力になった新事業の構想も、やはり東京で胎動したのだ。
元サムスン物産株式会社副社長・元サムスングループ日本代表理事の李吉鉉(イ・キルヒョン)氏は「イ・ビョンチョル会長は、東京で宿泊している間、多くの方々をお会いになった」と述べ、当時を回顧した。イ前副社長によると、ホアムは日本の半導体の母と呼ばれるシャープの佐々木副会長を初め、新日鉄稲山会長、伊藤忠商事の瀬島会長など主要企業の方々と会った。
◆半導体事業に進出、情報収集に10年
そして、彼らと会うと主に彼らの話に耳を傾けたと、イ前副社長の説明した。新しい事業を構想する時も該当分野で成功した人だけでなく、失敗した人、足踏み状態の人などと会い、彼らの長所は自身のものとして習得し、間違っている部分は「他山の石」として戒めた。
ホアムは重要な事業に関連した思案に対しても、数多くの情報を直接体得した。そして、これらを総合させ、事業の確信がついてから、仕事に取り掛かった。半導体事業にホアムが関心を持ち始めたのは1973年からだ。しかし、サムスンが本格的に事業に取り掛かったのは1982年からだ。半導体関連の国内外の人士達の意見を聞き、該当事業の発展の可能性など、10年間の多彩な情報収集を通して実行に移したのだ。
ホアムは経営者など、財界の高位層だけでなく、一般の庶民層に至るまで多様な人と出会い、彼らに得られるもの全てを集めた。
◆情報重視文化、サムスンDNAに
ホアムは、自叙伝である「ホアム自伝」を通して、東京の森田理髪店を紹介し、日本の職人精神に対する感懐を示した。そして、彼はサムスンの「品質第一主義」を発展させ、世代を超えサムスンのDNAとして確固たるものになった。
また、ホアムは現地法人の一番重要な役割として「情報収集」を挙げている。また、再審の情報技術と世界市況、競争社の動向などを積極的に探し出すために、東京に「情報センター」を作り指示した。
そして、この様な情報収集と活用をサムスングループ全体の文化として拡大させた。一時「サムスンの秘書室の情報能力が安全企画部(現:国家情報院)よりも優れている」と言う言葉がでるなど、情報を重要性を語るものは、ホアムの意思から出ているものだ。
「情報とは、企業経営にあって無くてはならない重要な手段だ」と強調したホアムの考えは今に至るまで続いている。サムスン電子の職員の業務処理過程は成功と失敗を区別せず、文章化され伝達される。
現在の失敗を乗り越え、これを情報化することで、次の挑戦者達がこれを活用し成功秘訣を早く習得し、失敗せず行えるようにすること、そして、これを通じサムスンは世界一流企業に跳躍する礎を形成するのであった。
亜洲経済= 特別取材チーム ehn@ajnews.co.kr
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