(湖巖100周年サムスン③)風水学の観点で見る湖巖の生家
「南西に位置する定型的な背山臨水」
ソウルから、乗用車で4時間ほど走って、湖巖(ホアム)・ 李秉喆(イ・ビョンチョル)会長の生家に到着した。生誕100周年を目の前に、田舎街は今回のイベント準備に大忙しだ。街道には「ホアム道」と名づけた。生家の住所は慶州南道・宜寧郡・正谷面・中橋里723番地。ホアム道に沿って美しき土塀を持つ家々が立ち並ぶ、この街は「塀村」と呼ばれている。街は大小むらなる山々が、まるで街の塀の様に見える。
「富豪の町」の入り口に位置する「富豪売店」の女主人は裏山が露積峰と呼ばれるのも、山の形がまるで、刈り取った稲作が積み重なったように見えるからだと語った。塀村の内に入ると、大きな門が良く似合う瓦家が目に入ってきた。露積峰のふもとに位置するのがホアムの生家だ。
大門を押して入ると、570坪に本館と別館が現れた。管理人はホアムが母屋の右の部屋で生まれたと説明した。小さな野山を越える道に沿って、漢学書壇「文山亭」で、幼きホアムが朝と共に学問の道を歩いたと語った。母屋の右側に位置する亀岩の前では、幾人の観光客が発福を祈っている。
ホアムの生家は、露積峰を南側に大きく下った内青龍の末に位置する。 露積峰は風水上の主山である闍崛山の末端に位置する山だ。長龍を形成した青龍がこの家の主竜になったことで、生家の左側に位置する囲い(左青龍)の役割をしているという。ホアムの家系が代々、富豪として名をはせたのも、長龍の気運のおかげだとしている。
また、生家には、青龍が水口を塞いでいる姿をしており、新しい気運が湧き出るだけでなく、10里離れた南江が生家の方に逆水を形成しており、気勢がさらに強くなっている。平坦な型のホアムの生家は南西方向の平地に位置している。そして、背山臨水(風水の地理上、理想的な家の配置に家を築く場合、背後に山や丘があり、前には川や小川、池、田畑がなくてはならない)の原理を忠実に実行されている。
ホアムの生家がある富豪の町の近隣には「富豪岩」がある。宜寧郡の関門であり、咸安郡との警戒線である南江(南工もしくは鼎江)の端、宜寧郡の宜寧邑に川には、富豪岩の伝説が言い伝えられている。釜蓋に似ている岩、釜岩に関する伝説とは、「釜岩を中心に半径20里(8km)内に大富豪が現れる」と言う、朝鮮末期の道人が岩に座し、予言したというものだ。
予言どおりに、サムスン、LG、ヒョソン(曉星)グループの創業者‐イ・ビョンチョル、具仁會(グ・インフェ)、趙洪濟(ジョ・ホンジェ)会長が生まれた生家が釜岩から直線距離で8km内に位置する。釜岩から三人の創業者の生家を繋げてみると、三つ足の釜の鼎だ。この内、サムスンとLGの創業者は「水の智恵を心得る」と言う意味の「智水小学校」の同窓生でもある。
偶然の一致であっても、同じ地域で生まれ、同じ青年時代を過ごした三人の創業者が築き上げた企業の名には、全て「星」の字が刻まれている。サムスン(三星、三つの星)とヒョソン( 曉星、明け方の星)であり、そしてLGの創業当時の名は金星(金星、黄金の星)だ。この様な根拠を並べてみると、「富豪になる気運」が本当に存在するのか、さらには、気運を受け取れば、財界の星になれると言う説明に対する、疑心の目が薄れるくらいだ。
しかし、ホアムの生家を離れ、ホアムが眠る京畿道の龍仁市、蒲谷面の稼室里にあるホアム美術館を巡り、ホアムの成功が決して風水の影響を受けたものではなく、無限追求の賜物だと思える。「行う者は達成し、行く者は手がとどく」と言う、座右の銘の様に、ホアムは数限りない思索と青年の挑戦の中で精巧な練磨を通し、韓国経済の星、サムスン(三星)の礎を築き上げたのだ。
人文自 hcn@ajnews.co.kr
©'5개국어 글로벌 경제신문' 아주경제. 무단전재·재배포 금지